大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡家庭裁判所久留米支部 平成5年(少)957号 決定

少年 N・T(昭50.1.4生)

主文

この事件については、少年を保護処分に付さない。

理由

第一送致事実等

本件送致事実の要旨は、「少年は、平成5年7月24日午前0時05分ころ、福岡県久留米市○○××番地焼鳥「甲店」前付近において、普通乗用自動車(車両番号久留米××り××××号)の助手席にA、後部座席にBを乗車させて通行中の女性に声をかけていたところ、通り合わせたC(当時22歳)から『女も嫌がっとるけん、お前たちも行け』と注意されたことに激高し、Cに制裁を加えようと決意し、少年ら3名共謀のうえ、同日午前0時10分ころ、同市○○××番地の×所在のビル×前において、Aが、Cに『殺すぞ』と怒鳴りつけたが、Cが前記車両の助手席窓枠に右肘をつき、『何てか、後ろがつかえとるけん、さつさと行かんか』と反論したため、AとBがCの右手首をつかんで車内に引っ張り、ドアのガラスを閉めてCの右上腕部を窓枠とガラスで締めつけたうえ、少年が直ちに車両を発進させ、時速約50~60キロメートルの速度で進行させて、同日午前0時25分ころ、同市○○×××番地の×所在の焼鳥『乙店』前に至るまで、約15分間にわたりCを前記車両から脱出することが不可能な状態に置いて不法に逮捕監禁し、さらに、同所において、少年ら3名は、こもごもCを足蹴りする等の暴行を加え、その際、Cに対し、約1週間の安静加療を要する右肩、肘、右胸部、両膝打撲兼擦過傷、左母趾火傷、頭部打撲傷の傷害を負わせた。」というのである。

これに対し、少年は、当審判廷において、「この事件は身に覚えのないことで、自分はやっていない。」と述べ、付添人も本件送致事実記載の非行事実は存しない旨主張する。

第二事案の概要及び問題点等

一  外形事実

証人Cの審判廷供述、Cの警察官調書謄本3通、診断書謄本、警察官作成の実況見分調書謄本、警察官作成の平成5年8月18日付け捜査報告書謄本を総合すれば、何者か3名が、平成5年7月24日午前0時10分ころから同日午前0時25分ころまでの間、福岡県久留米市○○××番地の×ビル○前付近から同市○○×××番地の×焼鳥「乙店」前付近まで、Cの右腕を車の助手席窓枠にはさんだまま引きずり回し、同所において、Cの顔面、腹部等を4回足蹴りするなどの暴行を加え、その際、これらの暴行によりCに対し、約1過間の安静加療を要する右肩ないし肘、右胸部、両膝打撲兼擦過傷、左足母指火傷、頭部打撲傷の傷害を負わせたこと(以下、この逮捕監禁致傷事件を「本件事件」という。)が認められる。

二  本件事件発生の経過等

前掲各証拠及び証人の審判廷供述並びにD(2通)、E、Cの各警察官調書謄本、その他、関係証拠を総合すれば、本件事件発生の経過等は、おおむね次のようなものであったことが認められる。

1  Cは、友人3人とともに久留米市内のカラオケボックスでビール中ジョッキ2杯を飲んだ後、平成5年7月24日午前0時過ぎころ、△△川沿いの一方通行の道路を歩いていたとき、同市○○××番地焼鳥「甲店」前付近において、前方に止まった白い乗用自動車の助手席側から何者かが女性に声をかけているのを見つけたが、女性が嫌がっている様子であったことから、助手席横の歩道を通り過ぎる際、車内に向かって止めるよう注意し、その際、車内に3人の男がいるのを認めた。

2  Cがその場を通り過ぎ、同日午前0時10分ころ、同市○○××番地の×ビル○前にきたところ、後ろの方から「にやがるな」とか、「殺すぞ」とかいう怒鳴り声がしたので見ると、川をはさんだ反対側の道路にさっきの車が見えたため、Cは1人で車に近づき、助手席側の開いていた窓に両腕を置き、両手首を車内に入れる姿勢で再度注意した。

3  すると、後部座席の男が突然Cの右手首を両手でつかんで車内に引きずり込もうとしたため、これを振り切ろうとしたCと引き合いになり、これとほぼ同時に、車の助手席側窓ガラスが閉まって、Cの右腕を窓枠にはさむような形となった。

4  この様子を見たCの友人Eは、Cの横に立ち、車内に向かって手を放すよう何度も注意したが、車はCの右腕をはさんだまま動き出し、これを止めようとしたEが右足で車の助手席側ドア付近を3回膝蹴りしたが、車は止まらなかった。

5  そのころ、同所付近を軽自動車で通りかかったDは、Cらが言い争っているのを見て、けんかをしているものと思い、口論を止めようとして、1人で車の運転席側に行き、何度か窓ガラスを叩いて運転手に車の窓を開けさせようとしたが、運転席の男は窓を開けようとしなかった。

6  そのうち、車がCの腕をはさんだまま走り出したため、Dは、車が××橋を渡った付近まで走って行き、車体の助手席側前部を両手で押さえて車を止めようとしたが、車はDを押し退けるようにして次第に速度を上げ、やがてCを引きずった格好となり、東町交差点を左折して、そのまま走り去った。

Dは、初め走ってこの車を追いかけたが、自分の車を停めていたままにしていたのを思い出し、いったん自分の軽自動車のところに戻り、自分の車で犯人らの車を探し始めた。

7  Cを引きずった車は同日午前0時25分ころ、同市○○×××番地の×焼鳥「乙店」前付近で止まり、同所で後部座席の男がCの手を放して車から下り、Cの額を1回蹴った。Cは同所で男たちから額や腹等を合計4回位蹴られた。

その後、男たちは再びCを助手席から車に乗せようとしたが、Cは必死に抵抗してその場から逃げた。

8  Dは、同日午前1時ころ、久留米市内の明治通りを走っていると、反対車線に女の子の車が止まっており、その後ろにすぐ付けるようにして、白いソアラが止まり、2人の男が立って女の子に声をかけているのが見えた。

そのとき、Dは、近くの久留米市××町××番地の××「丙」△□通り店の明かりで車の運転席側ボディーが凹損しているのが見えた。

Dは声をかけている男を見て、車内から男に向かって、さっきの男の人はどうしたのかと声をかけると、初めのうち男は知らないふりをしていたが、Dが車から下りかけると2人ともあわてて車に乗り込み、西鉄久留米駅の方へ走り出した。

9  Dは、逃げる男たちを見て犯人に間違いないと思い、自分の車に乗り、ユーターンして男たちの車を追いかけ、途中、信号待ちしていたときに犯人たちの車のナンバーを助手席の女性に言ってメモに控えさせた。

Dは車のナンバーをメモしたことから、男たちを追いかけるのを止め、同日午前1時05分ころ、久留米市○×町の派出所に届け出をした。

10  一方、Cは男たちから逃げた後、一時、気を失って付近に倒れていたが、しばらくして気がつくと、友人らを探して歩き回り、Eの家や△△川付近などを回って友人らと合流し、○×町の派出所に行ったところ、偶然、Dと出会ったため、一緒に久留米警察署に出頭し、被害を届け出た。

三  問題点等

1  本件事件の犯人と少年らとを結び付けるべき証拠として、捜査官から提出され、あるいは、当審判廷で取り調べられたものとしては、次のものが挙げられる。

(一) 本件の被害者Cが、Bが後部座席にいた男であると明確に供述していること(証人Cの審判供述及び同人の各警察官調書謄本)

(二) 本件の目撃者Dが、少年が車を運転していた犯人であると供述していること(証人Dの審判供述及び同人の各警察官調書謄本)

(三) Dが、本件事件発生から約50分後の午前1時ころ、明治通りで少年を目撃したと供述していること、加えて、Dがそのときメモした少年らの車のナンバーと、Bの使用する車のナンバーとが一致したこと(平成5年7月24日付け電話筆記用紙謄本)

(四) 本件送致事実を自白した共犯者Aの各警察官調書及びBの各警察官調書謄本

(五) 本件送致事実を自白した少年の各警察官調書

2  これらの各証拠、とくに被害者C及び目撃者Dの各供述並びに少年らの自白調書の存在に鑑みると、少年が本件事件の犯人であることは、一見、疑問の余地がないかのように思われる。

3  しかしながら、審判廷においては、少年のみならず、A及びBも一様に本件事件への関与を全面的に否認しているので、これらの各証拠、とりわけ被害者及び目撃者の犯人識別供述と犯行使用車両の同一性、さらには少年らの自白供述の信用性に疑問の余地がないのかどうか、さらに検討する必要があるというべきである。

第三当裁判所の判断

一  犯人識別供述の信用性について

1  被害者供述

(一) 被害者Cは、本件事件の約2か月後の平成5年9月21日警察での面通しの際、透視鏡を通してBを見たところ、事件当時と髪型は違っていたが、面長で鼻が高いところなどからBが犯人のうちの後部座席の男に間違いないというのであるが(審判廷では、さらに顔の形、目や鼻の雰囲気等をも理由として犯人に間違いないとしている。)、Cがその際、犯人の特徴として挙げる「年齢は18歳位、面長、鼻が高い、一見会社員風」という点については、Bの容貌と似ている部分が全くないとはいえないものの、これらはいずれも漠然としており、必ずしも個人に特徴的な容貌とまではいえないうえ、Cが犯人の特徴として被害の3日後から審判廷に至るまで一貫して指摘する「髪型はカールアイパー」という点については(なお、同様の指摘は、Cの友人Eの警察官調書謄本にも表れており、被害者及びその友人らが犯人の特徴としてこの点をかなり強く認識していたことが窺える。)、分離前の相少年B及び証人F子の各審判供述によれば、Bは本件事件当時と面通しの際の同年9月21日とでは髪型を変えておらず、くせ毛なのでストレートパーマをかけてはいるが、カールアイパーという髪型にしたことはなく、そのような髪型も知らないと明確に述べており(この供述を覆すに足りる証拠はない。)、Cが犯人認識の重要な根拠とする髪型の点で、犯人の容貌と当時のBの容貌とが一致するという保証はない。

また、Cが審判段階で新たに付加した「あごの部分が角ばってえらが張った顔」という点についても、むしろ細面といった感じのするBの容貌とは、一致しないというべきであり、これらによれば、Cのいう犯人の容貌とBのそれとでは重要な部分に相違があるというべきである(さらに、前記E供述によれば、後部座席の男は「丸顔、がっちりした体格」となっており、この点もBの容貌や体格とは一致しない)。

(二) Cは、後部座席の男の特徴について、本件事件の3日後の平成5年7月27日付け調書の段階では、「カールアイパーをした18歳位の男の子」というごく大まかな供述をするにすぎず、これだけでは犯人の特徴を指摘したとは到底いえないものが、その後、面通しが行われた日の同年9月21日付け調書では、「髪型はカールアイパー、年齢18歳位、面長、鼻が高い、中肉、一見会社員風」とやや詳しい供述をするようになり、さらに、同年11月11日の審判供述では、「髪型はカールアイパーで上に上げている。顔はあごの部分が角ばってえらが張った顔で、目は細目、年齢は20歳未満で鼻が高い、中肉、一見会社員風という印象がある。」といっそう細かな点も付け加えているが、この点、Cは事件の3日後という被害に比較的近接した時期に概括的な供述しかしなかったものがなぜその後に至って、より明確な供述をするようになったのか、あるいはどのようなことから記憶を喚起されるに至ったかについて、その理由を述べるところが全くなく、この点は記憶の保持に関する一般的な理解に照らしてやや疑問を禁じ得ない。

この点、Cは犯人らとそれまで全く面識がなく、夜間における目撃であり、いかに至近距離からとはいうものの、被害を受けていた15分程の間中、ずっと犯人を有意的に見ていたものではなく、△△川沿いでは、腕の引っ張りあいの最中に、外部からの明かりを頼りに、窓越しに車内灯の点いていない車内の犯人を見たものにすぎず、暴行を受けた際も、路上で車から下ろされてすぐに顔面を蹴られて意識が朦朧とするなどしており(なお、Cは車で引きずられている間、進行方向を見るなどしていたため、ほとんど車内は見ていないようである。)、その目撃状況は、必ずしも良好なものとはいいがたい。

そして、Cは、事件の約2か月後に行われた面通しに際し、暗示性が強いため、できるだけ避けるべきであるとされている、いわゆる単独面通しの方法によって取調べ中のBの顔を透視鏡を通して見せられておりこれにより、目撃状況の不十分さともあいまって、Cが捜査官による暗示を受けた結果、Bを犯人と指摘するに至った可能性を否定できないのであり、いかにCがBを犯人に間違いないと供述しているとしてもなお、全体として、Cの犯人識別供述の正確性には、疑問をはさむ余地があるというべきである。

(三) したがって、Cの供述だけを根拠にして、Bを後部座席に乗っていた犯人と特定することはできないというべきである。

2  目撃者供述

(一) Dは、犯人らとそれまで全く面識はなかったが、本件事件当日、

〈1〉 △△川付近を車で通りかかった際、偶然、Cらと犯人らとが口論等をしているのを見て、それを止めさせようとして犯人らの車の運転席横に立ち、ドアの窓ガラスを叩いて注意した際、窓越しに運転手の顔を見た。

〈2〉 犯人らを車で探し回っていた際、偶然、△□通りの反対車線上のコンビニエンスストア付近で運転手の男が車から下りて女の子に声をかけているのを認めた。

というのであり、仮に、〈1〉と〈2〉の男とが同一人物であるということになれば、Dは本件事件当日犯人の男を1時間足らずの間に2度にわたって目撃したことになり、その供述の信用性は相当高いということになる。

(二) まず、Dの平成5年8月6日付け警察官調書謄本によれば、〈1〉の男はガラス窓越しに見たものであり、「年齢18~19歳、髪をオールバックかリーゼント風にし、四角い顔で、黒っぽいTシャツ姿」をしており、〈2〉の男は道路を隔てて見たものであり、「黒っぽいTシャツを着た年齢18歳~19歳、身長170センチ位」であり、いずれも同じ男であったと述べている。

また、写真面割りが行われた際の同年9月27日付け警察官調書謄本によれば、警察官がDの職場に赴き、Dに対し、持参した顔写真の中にソアラに乗車していた男がいるかいないか見てくれということで、少年と同年代の被疑者写真10枚を示したところ、Dは少年の写真を取り出し、この男がソアラを運転していた男であり、「頭髪は写真と違って横を刈り上げ、リーゼント気味にして眉毛がもっと濃かったようだが、顔の輪郭等は写真とそっくり」であると述べている。

しかしながら、まず、〈1〉と〈2〉とでは、時間と場所のみならず、目撃状況自体も相当異なるから、両者がたやすく同一であるとの認識は得られないはずであるうえ、Dが挙げる〈1〉と〈2〉の各時点における容貌等がはたして同一といえるのかどうかも疑問であるし、本件事件当時、少年がDの指摘するような髪型や服装をしていたかどうかについては、これを積極的に裏付ける証拠はなく(かえって、少年の審判供述によれば、本件当時は、スポーツ刈りが伸びたような角々とした感じであり、また、実家を出て女性の家に泊まり込んでいたため、白のTシャツを何枚か持っていただけであると供述しており、この供述を覆すに足りる証拠はない。)、Dが犯人の特徴として挙げる点もかなりあいまいであり、ここからはたして当時の少年との同一性を認識できるのかどうか疑わしい(付言するに、警察官がDに示したという被疑者写真については、対照となるべき他の写真が一件記録上明らかでなく、この点は写真面割りの際のDに対する示唆の可能性を示すものとみられなくもない)。

さらに、Dの審判供述について、〈2〉の時点で少年を犯人ではないかと思った理由については、かなりあいまいな供述態度を見せており、全体として観察すれば、〈2〉の男を見て〈1〉の男と同じであることがわかったというよりは、「車を見て。あとは勘です。」と供述しているところからしても(ただし、この点は、勘だということは、もしかしたら違うかもしれないということではないかという質問に対し、「もしかしたら違うかもしれない。しかし、多分この車だろうと思ったのです。車より人の顔です。顔を見て、これだろうと思ったということです」と述べており、Dは顔を根拠にしたことを否定してはいないが、それにしても勘などという言葉を使うこと自体、供述内容に懐疑的な印象を受けることを禁じ得ない。)、Dは、その時点では主として車の同一性に着目して判断したもののようであり、人の同一性については、必ずしも多くを期待できないものというべきである(犯行使用車両の同一性については、さらに検討する)。

(三) そうすると、Dの目撃供述には、目撃内容自体にも問題があるだけでなく、異なる時点における異なる対象を安易に誤認混同した可能性があり、これに依拠するのは大きな危険があるというべきである。

二  犯行使用車両の同一性について

1  本件においては、事件当日の午前1時ころ、少年らが久留米市△□通りのコンビニエンスストア「丙」付近において、女性に声をかけていたところをDに発見され、Dから車で追いかけられた際、Dにより少年らの乗車する、当時、Bが所有していた白色トヨタソアラ(久留米××り××××)のナンバーを控えられたことは、動かしがたい事実である。

そこで、問題となるのは、Bの所有するトヨタソアラと本件事件の犯人らが犯行に使用した車面とが同一であるかどうかという点である。

2  まず、Cの審判供述、Cの平成5年7月27日付け警察官調書謄本、E、Cの各警察官調書謄本、Dの同年8月6日付け警察官調書謄本によれば、Cが△△川沿いで被害を受けた際、犯人らの乗車した車は、「白いソアラです。特徴はわかりません。年式は古い型で、角張っていて、丸い格好ではありませんでした。」(Cの審判供述)、「角ばった白色ソアラ2ドア」(C調書)、「白いソアラ」(E)、「角型の白いソアラで、若干古い」(D)などと、一様に白いソアラであることを述べており、しかも、C、D供述によれば、古い型の角張ったタイプということになる。

しかし、警察官作成の平成5年9月21日付け及び同月28日付け各写真撮影報告書謄本によれば、Bが本件事件当時所有していたトヨタソアラがさほど角張ったものであるという印象は受けないうえ、この車は昭和63年8月初年度登録された車であるが(Gの警察官調書謄本末尾添付の九州運輸局福岡陸運支局長作成の抹消登録証明書による。)、証人Gの審判供述によっても、その特徴は、「丸めのスポーツタイプの車で、62年前半までのソアラとは角と丸の違いがある。普通は63年式の車は角張ったとは指さない。」とされており、そうなると、むしろCらがいうような犯行使用車両とは異なるものではないかという印象を強く受ける。

また、分離前の相少年Bの審判供述及び前記各写真撮影報告書謄本によれば、Bの所有していたソアラには、本件当時、車体右前部に事故による顕著な損傷が見られるにもかかわらず(これはGの審判供述によれば「普通の人が見て、見落とすことはない。」程度のものという。)、Dの審判供述によれば、Dが△△川で犯人の車の運転席側に行き、窓ガラスを叩くなどした際、この傷に全く気づいていないということであるが、これは傷の大きさからして、容易に考えられない事態であるうえ、Dが本件当時、鈑金塗装の仕事に従事していたことからしても、職業的にこの種の車体の傷に全く気がつかないというのは、はなはだ奇異である。

さらに、△△川付近でCが後部座席の犯人から腕を引っ張られた際、止めに入ったEが助手席側のドア部分を強く3回膝蹴りしており、それはドアが凹損するほどのものということであるが(Dの審判供述によれば、「結構大きな音がしていました。」「あれくらいだったら凹むかもしれません。確認はしていませんが、感じとしては、凹んだと思います。」)、証人Gの審判供述によれば、そのような形跡はなかったというのであり、この点も疑問というほかない。

3  これらによれば、結局、本件では、Dを含めて△△川付近において犯行使用車両のナンバーを確認した者はなく、また、車体右前部の傷跡を見た者もなければ、Bの所有する車両に本件犯行の際の痕跡も存在しないということになるが、そうすると、Dが△□通りでBの所有する車を目撃したといっても、それが直ちに本件犯行使用車両であることに結びつくとは到底いえないことになり、同時に、この点を基礎としてDが少年を犯人の1人であるとする目撃供述の信用性にも疑問が残るといわざるを得ない。

三  少年らの自白調書の信用性について

1  自白供述の経緯等

(一) 少年らが捜査段階において自白供述をするに至った経緯は、おおむね、次のとおりである。

(1) Bは、平成5年9月21日午前9時20分ころ、自宅にいたところを、福岡県久留米警察署の警察官から任意同行を求められ、久留米署において事情聴取を受け、当初は、本件事件への関与を否定していたが、昼過ぎごろ行われた被害者の面通しの結果、被害者がBを犯人の1人に間違いないと述べたため、警察官の追及を受けた結果、本件事件は、B、A、少年の3人でしたものであると自白し、その旨の簡単な調書が作成された後、同日午後4時22分逮捕された(分離前のBの審判供述及びBの同日付け警察官調書謄本)。

(2) Aに対する本件事件の逮捕状は、同年10月4日発付されていたが、Aは、同日別件のシンナー事件で福岡県八女警察署の補導を受けていたため、連絡を受けて八女署に赴いた久留米署警察官から事情を聞かれたうえ、その日のうちに久留米署に移された。

Aは当初、本件事件を否認していたが、警察官から追及された結果、同月5日午後2時41分久留米警察署において、逮捕状を示された段階では、本件事件を自白した形となっている(分離前のAの審判供述、Aの警察官調書、Aに対する警察官作成の通常逮捕手続書)。

(3) 少年は、同年10月5日久留米警察署に任意出頭し、同日、午後3時45分本件事件で警察官に通常逮捕され、その際、「これは身に覚えのないことです。」と述べ、同月7日の裁判所の勾留質問段階でも否認を続けていたが、その後の取調べの結果、勾留2日目の同月8日本件事件を自白した(少年の審判供述、少年の警察官調書、少年に対する警察官作成の通常逮捕手続書)。

(4) これをみると、少年らは、いずれも当初否認の態度をとっていたが、Bは被害者の面通し後の比較的早い段階で、逮捕の前に自白し、Aも逮捕に先立って自白したものであり、少年についても、逮捕後4日目の段階で自白に至っており、否認後自白に転じるまでの期間は、いずれも割合短いものといえる。

(二) 他方で、少年らは、捜査段階において、自白供述をするに至った理由として、審判廷においては、それぞれ次のように述べる。

(1) Bは、初めはずっとやっていないと言っていたが、面通しの際、被害者が自分の顔を見て、Bがやったというようなことを言ってから、警察官の口調が変わり、声が大きくなり、お前がやったんだろうということになり、恐くなって投げやりな感じになって認めてしまった。自分の気が弱かったから認めてしまった。

(2) Aは、していないと言っても刑事が信じてくれず、「していないと言い張ると特別少年院に行かなければならなくなる、認めたら鑑別所だけで出られる、罪が軽くなる」と言われた。Bが、Aと一緒にやったと言っている、と言われて認めた。

家庭裁判所の観護措置決定手続の時に認めたのは、勾留先の柳川警察署から裁判所に来る車の中で、「Bが否認している、否認していると長く出られない」と言われ、ここで否認したら出られなくなると思ったためである。

(3) 少年は、「このまま否認しても少年院に行く」、「目撃した第三者がいてお前は逃げられない」、「否認していると確実に特別少年院に行く、それより認めて弁護士さんに頼んで軽くしてもらったほうがよい」と刑事に言われた。

自分も少年院を知っており、特別少年院には行きたくなかったので、鑑別所だけで出られるならしたと言い通して、弁護士をつけて出られるようにしてもらおうと思った。

自分はしていないと言いたかったが、「Aも本当のことを言っている」、「見た人もいる」、「お前はどうしても少年院に行く」と逃れられないように言われ、このまま否認しても少年院に行くだけだと思った。ほかの2人も事件をやったと言っていたので、自分もやったと言った。

(三) この点について、少年らの審判供述をそのまま前提とすれば、少年らに対する警察官の自白追及の態度等については相当問題とすべき点もあり、場合によっては、少年らの自白調書の任意性に疑問があるということにもなりかねないが、その一方で、本件においては、少年らを犯人とする旨の形式上明確な被害者及び目撃者の供述が存在しており、取調警察官がこの点に依拠して、被疑者である少年らに対し、本件事件への関与の可能性を追及するのはいわば当然であること、また、Bを除く他の少年については、すでに他の少年が自白していると告げることが必ずしも偽計に当たるものとはいえないこと、さらに、少年とAについては、いずれも被疑者段階の平成5年10月7日当番弁護士による面会がなされており、その意味では、Aと少年とが、自白後再度否認に転じ(Aの場合)、あるいは否認供述を続ける(少年の場合)こともできなくはなかったこと、何よりも、本件において少年らに対する実際の取調べ状況がどのようなものであったのかについてこれを示す十分な資料もないこと等に鑑みると、少年らの前記の審判供述をそのまま前提にすることも難しいのであって、そうすると、少年らの自白調書の任意性については、一応これを肯認することができるというべきである。

(四) しかしながら、一般に、少年が暗示、誘導に乗りやすいものであることはつとに指摘されていることであるうえ、仮に少年でなくとも、それまで警察官による取調べ経験のない者(ただ、取調べを受けた経験のある者であっても、取調べの状況如何によっては同様のことがいえるであろう。)が、犯行当時の自らの行動等について、反駁するだけの明確な資料を持ち合わせていない状況の下で、被害者及び目撃者らのこの者らが犯人であるとする内容の目撃供述を示される一方、このまま否認供述を続けた場合には、拘禁施設に収容されることもありうるということを示唆されながら、捜査官から厳しい追及を受けた場合、この者が自己の記憶に反して、自ら犯行を行った旨の自白供述を始める可能性があることは容易に想像できることであるから、たとえ被疑者が任意に自白供述を行ったからといって、供述内容の信用性を判断するにあたって、その点を過度に重視することはできず、さらに別の観点からその内容を吟味する必要があるというべきである。

2  自白供述の問題点

少年らの自白供述の内容は、いずれも大筋においては本件送致事実に沿うものであるということができるが、しかしながら、各自白調書の内容を子細に検討してみると、次のような点が疑問として残る。

(一) B及びAの各自白調書によれば(少年供述もこれと基本的に同じ内容である。)、被害者の右腕をつかんで車内に引きずり込んだのは、第一にA、次いで、これに加勢する形でBが行ったというのであり、したがって、その先後あるいは主従は別として、犯行時はAとBの2人で被害者の腕をつかんでいたということになるが、被害者は腕を引っ張ったのは後部座席の男1人であると捜査、審判を通じて終始一貫して供述しており、この点、明らかに被害者供述と矛盾する。

本件において、誰が被害者の腕を引っ張って引きずり回したかという点は、まさに事件の中心となる行動であり、他の行動と混同するような可能性もない事柄であるから、この点において被害者の供述と明確にくい違うというのは、自白として不自然な内容を含むというほかない。

付言すれば、その際の状況について、Bの平成5年9月21日付け警察官調書謄本では、Aが車内から相手の男の右腕を車内に引きずり込み、Bは手を出していないことになっているのが、Bの同月25日付け警察官調書謄本では、Aが左手で男の右腕をつかんで助手席の背もたれを通して右腕を引きずりこみ、BがAに加勢して男の右腕の手首付近を両手でつかんで引き、Aは右腕の肘上付近を左手でつかんでBと一緒に引きずり込んだとなっているのに対し、Aの同年10月6日付け警察官調書では、Aが男の右手首を左手でつかんで車内に引きずり込み、それと同時にBも男の腕をつかんで引っ張ったとなっているところ、Aの同月8日付け警察官調書では、Aが男の右腕と手首を両手でつかんで車内に引きずり込み、Bが男の腕を握って引きずり込んだとなっており、BとAの双方について、それぞれ供述内容に変転がみられるほか、供述内容にも相互にくいちがいが生じており、内容としてたやすく信用することはできないというべきである。

(二) 誰が被害者を蹴ったかという点についても、被害者供述によれば、まず後部座席の男から顔面を1発蹴られ、その他は必ずしもはっきりしないというものであるが、この点、B供述では、Aと少年の2人がかりで足蹴りしたというものであるのに対し、A供述では、3人がかりでしたもののようであるが、供述に変転があって必ずしも一貫せず(Aの平成5年10月5日付け申立書では、3人で殴ったうえ、Aについてはさらに足蹴りもしたというものが、Aの同月7日付けメモ及び同月8日付け警察官調書では、3人で蹴ったとなっており、さらに9日付け警察官調書では、Bと少年も一緒に蹴ったと思うがはっきりしないとなっている。)、少年供述では、Aが1人で蹴ったことになっており、この点においても被害者供述とは十分一致しないばかりか、少年ら相互で矛盾した供述となっており、自白内容に不自然さが残る。

(三) 少年らが声をかけた女性の人数については、B供述では、逮捕前の平成5年9月21日付け警察官調書謄本(「私は、」で始まるもの。)によれば、3人連れとなっているが、3日後の同月24日付け警察官調書謄本では2人連れとなっている。

この点、少年らは、もともとナンパを目的として行動していたのであり、また、少年らの人数とのつり合いという点からみても、対象となる女性の人数は本来重要な事柄であるはずであり、同時に、本件事件発生の重要な契機ともなった事項であるから、よく記憶に残っているはずであり、したがって、この点の供述がたやすく変わるのは、不自然であるというべきである(付言するに、被害者の警察官調書では、被害者が見た女性は2人となっていたが、審判供述では1人であったと思うと供述を変えており、この点、捜査段階における少年らの供述が女性は1人でなく2人となっているのは、被害者の警察官調書の内容に引きずられた結果、そのような内容になっているものと考えられるのであり、この点は、少年らの自白調書の内容を検討するに当たって、参考になるものと思われる)。

(四) 本件事件の際、Cの友人Eが助手席側ドア部分を強く蹴ったことにより、犯行使用車両に実際、凹損が生じていたかどうかはひとまず措くとしても、それほど強く車体を蹴られたというのであれば、本件犯行の際の重要な情況事実の1つとして、この点が少年らの供述として表れていても不思議でなく、むしろ表れていて当然と思われるが、被害者側の調書にほとんどその記載がなされていることに対比して、少年らの供述中に全くこの点が触れられていないというのははなはだ奇異であり、少年らの真の体験供述といえるかどうか疑問である。

全体としては、少年らの供述は、犯行状況やその際の周辺事情等についての描写が非常に平板であり、ある意味では、被害者供述などを前提とするかぎり、たとえ犯人でなかったとしても色づけできる程度のものであって、総じて、具体性、詳細性、迫真性に欠けるという印象を拭えない。

(五) 少年の自白供述を前提とすれば、本件事件後の状況として、少年とAとは、午前1時ころ、再びナンパのために△□通りを本件犯行使用車両に乗車して通行したうえ、途中、2人とも車から下りて女性に声をかけていたということになる。

しかしながら、少年らの車には、一見してわかる顕著な損傷が存在しており、しかも、その時点では、被害者らに車のナンバーを覚えられている可能性も未だ否定できないのであるから、いかに深夜とはいえ、少年らが本件事件を引き起こしながら、事件終了からわずか35分ほどしか経っていない時期において、Bを除く同じメンバーで、犯行現場のいずれからもほど近い市内の目抜き通りをすぐ足のつくような車両で走行したうえ、車から下りて立ち止まり、人目に触れるような形で女性に声をかけ、その間、車を置いたままで顔をさらし続けるなどということは、事件後に予想される緊急配備や、パトロール中の警察官による職務質問等による逮捕という多大な危険を生じさせるおそれがあるものであって、通常では容易に考えられない行動である。

まして、当時少年らは、友人を含めて、自分たちで乗ってきていた車をJR久留米駅付近に駐車するなどして、互いにこれをいつでも乗車できる状態においていたのであり、必要であれば他の車に乗車することもできたのであるから、仮にナンパだけは行うつもりがあったとしても、必ずしも、Bの車を使用しなければその目的を達成できないわけでもないという点などに照らせば、本件事件後の行動との関係で、本件犯行を行ったという少年らの自白供述には、払拭しがたい重大な疑問があるというべきである(さらに付け加えれば、少年らがDからさっきの兄ちゃんはどうしたかなどと言われて、しばらくの間、自分たちのことを言われたものとは認識せず、かえって少年らが声をかけている女性に向かって言っているのではないかと思い、その点を女性に告げたり、すぐにその場から逃げずにいたりしたという点も、むしろ少年らの犯行を否定する方向に働くべき重要な情況事実といい得る)。

(六) 少年らの自白供述中には、いわゆる秘密の暴露、すなわち、あらかじめ捜査官が知ることができなかった事実であって、被疑者の自白に基づく捜査の結果、初めて客観的事実として確認されたものに相当する事項が全くといっていいほど見当たらない。

かえって、例えば、少年の平成5年10月9日付け警察官調書中には、腕を引っ張られ、窓枠等に腕をはさまれたままの被害者を少年が運転する車で引きずる際の状況について、「私が次第に速度を上げると男はサイドステップに両足をかけたのがサイドミラーでわかりました。」という比較的詳しい描写がみられ、仮に、これが秘密の暴露ということにでもなれば、少年の自白供述の信用性を高める事情になるともいえるが、この点が被害者供述によって確認されたのでないのはもちろん、さらに証人Gの審判供述によれば、もともとサイドステップは5センチもないくらいで、人間が足を乗せるような作りにはなっておらず、また、まっすぐではなく、斜めについており、人が乗れば人が落ちると述べられており、そうすると、少年の供述は、明らかに虚偽の内容を述べたものであるということになり、秘密の暴露を述べたことにならないのはもとより、供述内容自体に信じがたいものを含んでいることにもなるのであって、これらの点は、少年らの供述内容の信用性を判断するにあたって、重視せざるを得ないというべきである。

3  これらの事情を総合考慮すると、少年らの自白調書の記載内容は、少年らが、いずれも逮捕に先立って、あるいは、逮捕後4日目という比較的短期間のうちに自白に転じたことを考慮に入れても、なお不自然かつ不合理であるとの感を免れず、たやすく信用することができないというべきである。

結局、少年らの自白調書は、いずれも少年らが審判廷において、供述するとおり、警察官から、少年らを犯人とする被害者及び目撃者の供述があるとして追及され、あるいは、否認を続ければ少年院に行くことになるなどと指摘され、その間、警察官から明示または黙示の誘導を受けて、これに迎合した結果、成立したものと思料されるのである。

第四結論

以上によれば、少年らを犯人とする内容の被害者及び目撃者の犯人識別供述の信用性には少なからぬ疑問があり、犯行使用車両の同一性も明らかでなく、さらに、少年らの自白調書の内容には、不自然不合理な点が数多くあって、にわかに信用することができないこと等の事情に鑑みると、結局、本件については、少年に非行がないことに帰するから、少年法23条2項により少年を保護処分に付さないこととする。

(裁判官 河田泰常)

〔参考〕 少年補償事件(福岡家久留米支 平6(少口)1 平6.8.22決定)

主文

本人に対し、金35万円を交付する

理由

1 当裁判所は、平成6年3月23日本人に対する平成6年(少)第957号逮捕監禁致傷保護事件において、送致事実が認められないことを理由として、本人を保護処分に付さない旨の決定をした。

2 同保護事件の記録によれば、本人は、送致事実と同一の被疑事実により平成5年10月5日逮捕され、同月7日勾留となり、同月15日観護措置決定を受けて福岡少年鑑別所に収容され、同年11月8日観護措置決定が取り消されて釈放されるまで、35日間身体の自由の拘束を受けたことが認められる。

また、本人には、少年の保護事件に係る補償に関する法律3条各号に規定する事由は認められない。

3 本人は、上記身柄拘束当時、実家の建設業の手伝いをしており、大工見習いとして日給約8000円程度の収入を得ていたことが認められ、これに本人の年齢、生活状況等諸般の事情を考慮すると、本人に対しては、1日1万円の割合により補償をするのが相当である。

4 よって、本人に対し、補償の対象となるべき上記の身柄拘束の期間について、上記割合による補償金合計35万円を交付することとし、同法5条1項により主文のとおり決定する。(裁判官 河田泰常)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例